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あるガラス吹きの徒然日記。

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2006年 09月 03日

無題

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自分がしっかりとした大人になっている、という確信がないので、「見かけ上の大人」であるということにして話を進める。

自分が大人になるまでの時間は、自分で想像しているより遥かに早くやってきてしまった。
その早さはまさに想像を絶していて、自分の年齢がまるで成虫になった昆虫の殻のように自分にまとわりついていて、中身はまださなぎのような未成熟なものであるようにいつも感じている。

だが、そうじゃないんだ、中身までこんな年齢なんだと思い込もうとするたびに、時間の短さと自分の動きの鈍さに頭を抱えてしまいそうになる。
ああ、もっと早く動かねば時は刻々と過ぎてゆく・・・・

だから焦っている。
焦れば焦るほど、時間は虚しく空を回り、どんどんと過ぎて行く。
そうだったんだ、時間は早いんだ。
自分がその流れを掴めぬ事への焦りが、毎日の時間をより加速させて、日々は更に短くなっていく。


夏休みの終わり、娘とプラネタリウムを見た。
スクリーンに投影された光の点々を眺めるうち、宇宙はいつからあるのだろう、どこまであるのだろう、とただ漠然とひたすらに考えていた子供の頃を思い出した。
あの頃は、僕の時間は宇宙のように無限で、僕はいつまでも子供だった。
きっと来るであろう大人の時代は僕にとって宇宙を考える事と同列の事象だった。

子供は、どちらがいいのだろう?

子供は、僕がそうであったように、子供の時間に生きるべきなのだろうか。
僕は大人になってしまったから、子供にとって宇宙のように遠い大人の時間を、近づけて見せてやるべきなのか。それが「大人の務め」なのだろうか。
子供は時にまったく違う時間を生きている。

僕の時計の秒針を、ほら見てみなさい、こんなに早く動いてる、お前の時計は幻なのだと言い渡すのが正しいのか、それともどんどん早くなる僕の時計をひた隠し、お前の時計は自分の腕についている、と言うのが正しいのか。

どちらが子供にとって幸せなことなのだろう?
そんな事は僕だけの話だったのか?
この歳でもさっぱりだ。



by glassroom | 2006-09-03 01:11


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