2005年 07月 07日

はずかしながら

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昔読んだ本の中で、なぜ勉強をするのか、という問いに対して評論家?作家?の立花隆が書いていた。

それは自分を知りたい、という根本的な欲求によるものだ。
それは見当識を得るためだと。

見当識、というのは自分が「どこ」にいて、「あなたはだれ?」で「今はいつ」かを問いかけることだ。これは病院で患者さんの意識レベルを計るための質問だそうだ。
立花さんはこれを拡大解釈してどこ?ということを、ではそれは宇宙のどこ、という定位はできるか?誰という問いは本質的には無限の説明がいるではないか。今はいつ、も人間は時間の本質を分かっているのか、という事を書いている。

科学者はこの問いに、自然科学から答えようとするけれども、僕は違う!
なにせアート系ですから・・・

自分がどこにいて、何者で、今はなんだろう?
今のところ、答えはぜんぜんっわからない。

自分のいる位置ってなんだろう・・・さっぱりだ。
自分が何者か、そんなこと分かればこんなことしてない。
今はいつなのか、自分の人生の中での時間を考えるとどうも感覚と実体にズレがある。これまたわからない。

あまり勉強が好きでなかったから、客観的に考えたり勉強して答えを探ることをせずに、ぼ〜っと自分の目に見える世界と、頭の中で見える世界を眺めて暮らしていたら、知らないあいだに、知らないところへ来てしまった。

作ることで何か自分なりの勝手な答えが出るような気がして、こういうことをしているけれども、見当識はどうもはっきりしない。
でも、こんなことしてたらひょっとして・・・わかるかも、ということで日々こんなことしてる。

う〜ん、科学者にはとても恥ずかしくて言えない話だなあ。


参加してます。アート系に・・・

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by glassroom | 2005-07-07 22:25 | 吹きガラスの事


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