あるガラス吹きの徒然日記。

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2010年 09月 15日

痛い話

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痛いという言葉を「イタい」と表現すると、ばかな行動とか、場違いで浮いているという意味になることが多いが、これは感覚の痛い話。

ちょっと痛い出来事が起きた。
命には何の問題も無く、それどころか軽傷というたぐいの出来事だったが、僕には結構な痛みだった。
ちいさな包帯を巻いて戻った僕を妻がどうしたのと尋ねる。
ああなって、こうなって・・といきさつを話しだしたらのけぞってもういいから、と話の続きを拒否する。
痛い話は聞きたくないというのだ。
これに対し僕はへっちゃら。もう痛みの絶頂は去り、あとは坂を下るだけだ。せいぜいこの不幸な出来事をはやく笑い話・・にはならないか。とにかく話のネタにでもしてしまいたいのだ。

自分の痛かった出来事より、他人の痛い話が嫌と妻は言う。僕も実はそうで、この出来事をきっかけで妻が「かつて自分の身に起きた痛い出来事」を話しだした。
痛い部位をかばいつつ、僕はのけぞる。「やめてくれ〜」と。

あくびをしたらうつる、という。あれは共感という感情が育たないとうつらない。なので赤ちゃんにあくびを見せても赤ちゃんはあくびをしない。
痛みも同じく共感でうつるのだろうか。
残念ながら現代はいろいろな痛みの共感が出来ない人が増えているようだが・・・


ちなみに、僕の痛い話はね・・・指が・・・
やっぱりやめておこう。喜んで話すなんて、あんまりいい趣味でもないからね。
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by glassroom | 2010-09-15 17:23


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